統合太極拳99勢 中国政府による最初の統一型
〜究極の太極拳を求めて〜
日中戦争の最中、中華民国政府は五大流派に分かれていた太極拳を統合して実用、体育両面共に優れた統一型を編纂しようとしていた。
武術振興のため、政府の肝煎りで各省に国術館、首都南京には中央国術館が設置されていたが、1939年に南京中央国術館の副館長に就任した陳拌嶺Chen Pan Lingが、1941年に主任となり編纂が進められた。
陳拌嶺は形意拳、八卦掌を修め、太極拳を楊少侯、許禹生、紀子修、呉鑑泉について学んだが、楊家太極拳を中心にその派生である呉家、武家、郝家の太極拳を取り入れ、源流である陳家も研究して、さらに形意、八卦の技術を取り込んで99勢からなる一套の太極拳を編出した。
戦後国民党政府と共に、陳拌嶺は台湾に渡り「中華国術太極拳教材」を著した。この太極拳は体育・用法の何れにも偏らないという意味で双辺太極拳と一般に呼ばれているが、編者は流派名や型の名前を名乗らなかったので、伝承者によって九九(式)太極拳、南京中央国術館式太極拳等、様々な名称が付けられた。
形意・八卦において陳拌嶺の師兄弟であった王樹金は、この太極拳を陳老師から習得する一方で、八卦掌の大家である立場から助言を与え、その完成に寄与した。
王樹金は意拳の創始者の王向斉より站椿(気功)法を習得していたので、大きな影響がその伝に見られる。
現在、王老師の嫡伝継承者の王福来老師は、師父の名より誠明太極拳としているが、その他の伝承者では一様ではない。日本では正宗太極拳、中央(国術館)式正宗太極拳等としても知られている。
欧米では、Chen Pan Ling Styleが一般的で、Orthodox Style とも称される。
当会では、楊家を中心として、古伝を統合しようとした編纂の意図から、統合太極拳99勢という名称を採用している。
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